◇装飾空間
かつてドイツの表現派の一人ブルーノ・タウトは日光東照宮を“堕落の極地”とし、桂離宮を日本建築の“真髄”といった。しかしそれは江戸幕府の人々が日本では例外的な装飾によって力を表現したのであって、“倫理の堕落”ということではない。篠原にとっては日光東照宮に代表される日本の装飾も桂離宮に代表される簡素な構成も倫理的には同格なのである。桂離宮は装飾がないという装飾なのである。装飾とは一般に石や金属の塊の造形物であり、それは人間の生き方全体が求め、そして、それとぶつかり合う空間なのである。