<零度の機械>
現代における機械とは、機能主義、合理主義における形態が機能に従うことを意味した機械の意味とは異なってきている。戦闘機が示すように新しい機械は部分がそれぞれの機能を最大限に発揮するために“無造作に”結合され、統一された全形を期待することはできない。新しい機械の機能はその形態から連想することは難しい。もはや機能と形態は必ずしも一致するものではない。機械はエレクトロニクスに制御され、“見えない機械”となってしまった。形態と機能の関係についての古典的命題はここでは単純なものではない。機械の背後には“非統一性”というコンセプトが働く。
今日の都市<東京>にこの“見えない機械”を見ることができる。モダニズムの建築のように一つの形、一つのシステムがこの街は個々の建物、個々の看板が互いに主張し、目立ちたいという意欲が発する“活性”に満ちあふれている。同時にこの街には至る所でエレクトロニクスの最新技術によって制御されている。見えがかりの無秩序と、目に見えない秩序が同時に存在する不思議な街が東京である。
零度の機械は零度の意味の部品の集合(機械とは意味の見えない部品の集合)である。
篠原にとって、この見えない機械や街の部分と全体との関係(部品の無造作な接合)は篠原が捉える今日の技術と都市である。