

この論議は現象している物理的な空間とは別な、より純粋な空間の存在の有無を問うて
いる。古い時代の宗教的な諸論理、あるいは神秘思想のなかにはしばしば〈実在する空
間〉を支えている純粋な空間の存在が主張されている。例えば、老子における〈無〉な
どがそれである。しかしそれらの存在が、純粋空間であるかどうかは、空間という概念
が定かでないため判定が難しい。西欧においては、純粋空間の存在は〈空虚 void〉の
存在の有無というかたちで論じられた。即ち、事物が存在しなくとも空間が存在するか
どうかが問われたのである。純粋空間が理論的なかたちで表示されるのはニュートンに
おいてである。ニュートンは、現象として認められる空間を相対的な空間 relative
space とし、その背後に「その本性として、どのような外的事物とも関係なく、常に同
じ形状を保ち、不動不変のままの〈絶対(的な)空間 absolute space〉がある」と
した。この絶対空間のイメージは、やがてアインシュタインの相対性理論によってとっ
て変わられるが、事物の外の純粋な空間の有無という本来のテーマにたちかえると、バ
ークリーは経験論の立場からニュートンを批判し、「あらゆる物体を排除した純粋空間
の観念は、これを形成することさえできない」とする。ニュートンに対して批判的な立
場をとった見解の事例として、ライプニッツの見解がある。ライプニッツは「空間は同
時存在の秩序である」という有名な定義を下した。この立場も事象的な存在をもって空
間がとらえられるという立場、従って相対的に空間を規定する立場を表明している。建
築空間を論ずるにあたっては、基本的にバークリーやライプニッツの純粋空間を排する
立場をとらざるをえない。仮に、事物・事象の外に純粋空間がありイメージするとして
も、われわれが関心をもつのは、事物によって形成される空間であり、事物を通してそ
の純粋空間を象徴する手続きをとらねばならないからである。
□純粋性(絶対性)を考慮しているもの



