磯崎は都市デザインの研究、設計の中で、「地図」と実際の都市の実感の食い違いにつ
   いて述べる。地図は正確無比であるが、繁雑すぎであるために対象がぼやけ、日常感じ
   ているような、都市の雰囲気などを感じることはできない。複雑にいりくみ、地域ごと
   に独特の性格を持ち、昼夜では全く面影を変えてしまう東京を取り出してみると、正確
   に測量され、一定の比例をもって縮尺された無機的な「地図」のなかでは印象など捜し
   えることができない。新しい表現方法を発見しない限り、現実の都市の実体には接近す
   ることはできないだろうと磯崎は予想し、歴史的特徴を持つ都市を空中から観察する。
     ヨーロッパの歴史的都市、ニューヨーク(マンハッタン)の上空をとぶとき、上空か
   らの視界は地上の記憶をより豊富にしする。それは都市の形態と、構造がほぼ一致して
   おり、鳥瞰図の手法とこれらの都市の広がり、空間構成の実体は充分に連続していると
   磯崎は見る。
   しかしロサンゼルスの上空をとんだときは、特徴的な都市施設は発見できても、都市の
   全貌を捉えることはできないという。全ての施設(インターチェンジ、パーキング、野
   球場、ドライブイン劇場等)は自動車を中心としてつくられているのである。もし人間
   が自動車を放棄するようなことがあれば、瞬時にして「廃虚」となる。
   形を持ち、物理的立体的に連続性を持ち、まとまった活動をしているはずの都市像はこ
   こにはなく、都市は姿を消しているのである。つまり、我々が用いてきた都市という
   概念、物理的構成が緊張感を持って一望のもとに把握しうるような都市空間概念が、こ
   こでは崩壊しているということである。都市は動いている。
   磯崎の都市の原型は、戦争中の焼跡である。日本の都市は裸体をかいまみせ、永久不滅
   だと思われていた物理的実体が次々に崩壊、いや消滅したのである。最後に焼け跡だけ
   が残ったが、そこには都市があった。今や戦前以上の物理的実体を所有している。磯崎
   の未来都市は焼跡とは無関係ではない。未来都市は現時点への終末の状況を導入するこ
   とである。消滅とオーバーラップしたときに、設計は現実化するのである。未来都市は
   廃虚なのだ。