伊東は"理論"を援用して自己の建築を正当化する建築家ではないが、非常に美しい詩的な言葉で建築を語ってきた。概念的な言葉で建築の本質を言い表そうとするより、建築という形式を"比喩"として人間の生存の条件を模索し、かつ建築自体を社会のなかで再定義使用としている。
「風」 —身体感覚と建築の曖昧な関係—
「風のような」と言う比喩は、いくつかの出来事あるいは場所のゆるやかな、非分節的な連鎖としての空間を差し示していると思われる。また、出来事という消失するものを場所化するという意味で建築が存在しているという認識の表明でもある。実体的で重々しくもある建築を、現代という移ろいやすき時間の中で改めて定義しようというということを意味している。
・透明で実体のない空気の流れのイメージ
ノマド —場所の喪失—
伊東は現代の都市、特に東京という消費社会の権化のような都市に於いて、人間の生活の様相がすでに過去のものとは異なり始めたことに注目する。都市は断片化し、少なくとも建築の外面による視覚的連続性では把握できないし、流動している渦のようなものである。人間は実際にはどこかに住みながら、殆ど定住の意味を喪失している。このことを彼は"ノマド(遊牧民)"という隠喩で示そうとした。ノマドなる隠喩は都市の特定の場所に特定の意味や記憶がないことを意味する。あるいはむしろ移動しつつ、何処かに意味のある場所を発見する。
※消費社会とは資本の異様なまでの発展から、もはや資本がたんに経済のみならず政治や文化をも包含して運動する力になり、この力によって荒廃し、廃墟に化した社会のことである。
・都市生活者のライフスタイルに「ノマド」という隠喩を与えたイメージモデル
パオ —都市生活者の身体—
伊東は「パオ(包)」という布で包んだだけのインテリアを架空のモデルとして提出したことがある。建築は衣服のように身体を包めばいい、と考えたのだろうか。その時彼が感心を抱くのは若者のライフ・スタイルであり、その遊戯的生活であるが、そこに仮定されたことは、年齢・性別を問わず、すべての人間に当てはまる。彼が都市を理解し、我々が彼を理解するひとつのキーワードは「ポップ」である。彼はファッションにも関心が強く、風俗的な現象に対しても親近感を持っている。「パオ」はこのようなライフスタイルの隠喩として理解するべきものであった。それは包むことにさほど力点があったわけではない。遊牧者の隠喩として理解されるべきものである。
・伊東の想像力は、希薄になり、空虚になり、モード化しかねない領域に近づきながら、そこから反転して人間の生存の条件を改めて見ようとしたのである。
※ここに掲載されている文章は「建築・夢の奇跡」に於いて多木浩二氏により展開された伊東豊雄論を私なりにかいつまんで説明したものである。