切断の手法を取り出すということは、設計という行為
          にまつわる投企の構造を明らかにすることでもある。
          すなわち、建築がいまだ固定した形をしめさずに、イ
          メージの中でゆれうごいているとき、その想像の中に
          あるものは、意志の決定がなされることによって突然
          凝固する。
          建築が未来にもつべき状態のすべてが、その瞬間に、
          決定的な断面を露出する。その凝固の瞬間に与えられ
          る形式に、建築の全存在が投影される。建築が、みず
          からの存在を、新しい物質の存在形式となる建築の出
          現を交合する唯一の機会だといっていい。その行為を
          切断と名づけた場合、そこに二重の意味がこめられて
          いる。
          ひとつは
          イメージが定着する行為を介して、物理的な横軸ぞい
          に流れている時間と違った、存在論的とでもいうべき
          垂直の時間が一挙に可視化される。歴史の中で継時的
          に展開している事象が、時間の序列を失う。同時に地
          域的な差異もなくしてしまう。これはあらゆるものが、
          時空的な距離を喪失して一挙に等価してしまうことで
          ある。時間を切断することは、みずからの裸形の観念
          と対峙することにも通じている。
          もうひとつは
          まさに物理的存在である建物を、文字どおり切断する
          こと。その手続きがプロセス・プランニングである。